
早いもので、8月が終わろうとしている。
お盆、終戦記念日を迎える8月は、平和・命・人生を改めて考える月でもあった。 少し前となったが、中曽根康弘元首相が14日の読売新聞朝刊 「地球を読む」 に寄稿した文章をを紹介する。 ぜひ皆様に読んでいただきたい(全文を載せたいところだが、一部抜粋させていただく)。
国家なき市民主義の限界(1面) 歴史・文化背負う政権を(2面)
『・・菅政権を一言で表せば、「過去も未来もない政権」だったと言えよう。菅首相の唱える「市民主義」とは、私たちの周辺にある市民生活を中心にした政権思想で、歴史や文化の伝統を背負った過去や、目標や理想を持った未来への挑戦にかけた政治思想である。この「市民主義」なるものは、ややもすれば選挙目当ての狭小で迎合的な主張が主となり、国として歴史や、文化との連続性がないという弱点がある。「連続性」とは過去と未来のあいだにたち、歴史と文化の裏づけとともに、いかにこの国の未来を切り開くかと言うことであり、保守政治はそこに最も心を砕かねばならない。民主党が国民より負託を受けた継承政権としての意義と意味は、まさしくそこにあった。自民党政治に終止符を打ち、新しい路線を築こうと政権を樹立し、二大政党主義への道を開拓したが、政権の実態は、左右中立の同床異夢の者たちの寄せ集めであり、憲法改正に対する一致した見解を形成し得ないし、いまだに綱領すらない集団である。
・・菅総理は保守党政治家にないやわらかさと、清潔さと、進歩性を売り物にして政権を保持してきた。だが透視力や説得力に欠けるうえに当初の推進力が落ち、内閣に対する指導力、統制力は格段に落ちてきた。それは菅総理の国家論を持たない「市民主義」なるものの限界が露呈されたからであろう。菅政権は、一過的、功利的、場当たり的になり、「過去」と「未来」とをつなぐ「現在」としての政治的継続性がない。このため、衆目を引く課題を次々と見つけ出すことで、政権の延命を狙う「機会主義的」なものになってしまった。
・・日米安保条約改定50年を経て、米国は日米同盟の強化に向け話し合いに応ずる構えであるが、日本側の態勢が全く整っていない。鳩山内閣では、沖縄基地問題での失言で国際社会から日米関係のありようを疑われ、菅内閣では尖閣諸島近海での中国漁船の領海侵犯、また日本領土の国後島へのロシア首脳の相次ぐ上陸など日本の主権が侵害された。これは民主党政権下で日本が弱体化したために起きたと言われている。国務を担当する政治家の主張が市民生活にのみ焦点を当て、背後にある国家や国民を蔑ろにしては本務に反する。
・・外交と安全保障政策について、民主党政権、菅内閣は確たる成果はあげていない。国としての歴史や文化を背負う気概も見えぬ。
・・日本首相の内政外交における毅然たる信念と強さ、かりそめにも主権侵害を許さないという愛国心の強烈さ、国民の首相に対する信頼度が外国の対日政策決定の基本にあることを忘れてはならない。
・・国会議員の任務は、国家の運営にあずかることである。国家にはそれぞれ固有の歴史や伝統の個性があり、世界の中でその個性に立って諸国家、諸民族とともに世界の繁栄に貢献しなければならない。そして、国家に生きる市民は国家の歴史や伝統から避難した存在ではない。国務を担当する政治家の主張が市民生活にのみ焦点を当て、背後にある国家や国民を蔑ろにしては本務に反する。居住地域を大切に生きるという意味で「市民」という言葉を用いるなら結構なのだが、首相の言動に歴史や文化の背景が伴わないのでは迫力を欠く。首相は、一国の歴史や文化を背負った存在なのだ。
・・菅政権を通し、民族や国家の歴史の流れを無視した形での、いわゆる歴史的実験ともいうべき「市民主義」の意味が明らかにされ、国家の統治原理としては甚だ不十分である事が示されたが、次期政権はこの教訓を生かさなければならない。』
中曽根元首相は 「菅政権を一言で表せば、“過去も未来もない政権”だった」 と酷評している。 耳障りのいい言葉の羅列を繰り返す菅氏。 所詮は市民運動家レベルの政治家であって、為政者とはなり得なかった。 民族や国家の歴史の流れを無視した形での、いわゆる歴史的実験ともいうべき「市民主義」の意味が明らかにされ、国家の統治原理としては甚だ不十分である事が示された。
野田佳彦氏が首班指名で第95代内閣総理大臣に決まった。 中曽根氏の 『次期政権はこの教訓を生かさなければならない。』 との言葉を野田氏に贈りたい。
















